日々と戯言とそこの片隅

鶴見義龍のしょうもない日常

人間の賞味期限

はなんだろうかと

 

歳を取ってしまい、思考が塗り固まってしまう事なのだろうか

心は若いまま、体だけが心に追いついてないことなのだろうか

どうだろう。

 

一般的な人間の賞味期限は30になってからだと誰かから聞いた覚えがある。

腐食がそこから始まり、次第に朽ちていくのが早くなる。

30を境に時間が早く感じると、皆が口を揃えていう。

30になってから時間があっという間だと。

 

いや!嘘じゃねぇか!

 

30歳歴1ヶ月だけどさ、いつもと同じだよ。

季節や何かの変わり目には街や景色や人や匂いが変わる。

その瞬間の匂いや儚さや進む力を俺はまだ感じている。

 

誰かと深い話をしてジーンとしながら帰る夜道や電車から見える風景が何故か「ここまで来い。這い上がってでも」と俺には言われている気がする。

 

その気持ちは確かに1度失ってしまったのかも知れない。

奪われたのかもしれない。

 

けど、そこにそっと戻したものが有るとするならば

戻してくれたものがあるとするならば

 

俺はね、音楽だと思うんですよ。

俺はね、周りの友達や家族だと思うんですよ。

俺はね、絶えずいつまでもそばに居てくれたものだと思うんですよ。

結局ね、大事にしようと、大事だと、離したくねぇよと心の中で思ってたものでしたよ。

 

良くね、言われます。

「しつこいよ!分かったよ!めんどくせーな!もー!」って

俺はめんどくさい男なのですよ。

「いい加減いいじゃん!諦めろよ!」

そう言われて

「やっぱそーだよね。分かった。諦めるわ」

なんて死んでも出来ないと思います。

「分かっちゃあいたんだけどやっぱ無理だったか…痛てぇよ…めちゃくちゃ痛てぇよ」

って自分で大ダメージ受けないと分からないんです。

分かることが出来ないんです。

 

音楽は、友達は、家族は、恋人は、僕の大事なものは

やはりどうあっても切り捨てられないのです。

誰かに奪われようとされるのなら骨折してでも取り戻しに行く。

 

俺の中でずっと思ってた

「この歳で無理だったら音楽はやめよう」

その年齢になってしまいました。

そこで「完全な限界、完全な見限り、完全な停止、完全な死」が待っていると思ってたから。

 

けどさ、ごめん。それすらも

「しつこいよ!分かったよ!めんどくせーな!もー!」

と言ってくるのですよ。

 

「社会的には死んでる」のかも知れない

けど、

「人間的にはまだ生きてる」のならば

そりゃあ生きていてぇよ。

徐々に、徐々に、全ての選択の道は減っている。確かに、でも確実に

ラクラして動けんわってなる事が腐る程ある。

もういいんじゃねぇかなって。

 

けど、その度に奥に閉まってたものが僕を奮い立たせるのです。

そして思うんですよ。

「まだやれるんじゃあねぇか。かすり傷だろこんなん」

進め。進めと。愚か者よ進めと。

誰かが言うのですよ。

なんだようっせぇなって思いながら、前を見た時にそいつがいるんですわ。

こんちくしょうめ。

余裕かましてんじゃねえよおい。と

そいつの顔がやたらムカつくから殴りたいのです。

殴りに行きたいのですよ。

だから殴りにいくんだ。

 

「おめー良くも笑ってたな!そもそも俺が俺を笑ったところでなんもねぇじゃねぇか馬鹿野郎かおめー!」

 

進め。愚か者。

俺の道も蛇だ。泣く暇もない。が、その気持ちも何もかも嘘じゃねぇだろ。

 

嗚呼、そういやそうだな。

 

ただ、敢えて言うなら

 

それはまた別のお話でしょう。